Slide I - 035
次は、先天性障害者の心理について、考えてみましょう。
生まれつき障害がある人生というのはどのようなものでしょう。
障害があってもなくても、一人の人間として、学校生活や地域社会での生活など、平等に機会が与えられ公平な世の中を目指した「インクルーシブ社会」が理想ですが、実際にはどうでしょう。障害児は親から身の回りの世話を受ける機会が多く、そのことが自己決定の機会を狭められることにつながりやすく、障害があるために様々な行動の制限があり、失敗を恐れず試行錯誤を繰り返しながら学ぶという経験も少ない場合があるのではないでしょうか。
先天性障害児が、「大人」となっていくにあたって、まず「自立」ということを考えなければなりません。
自立には、身体面、精神面、経済面、社会面の側面があります。
身体的な自立、これは食事、移動、排泄等の動作の自立であり、障害の程度によっては必ずしもすべてが可能になるとはいえないかもしれません。
精神的な自立、これは例えば親元から離れ、介護者を使いながら自分らしく生きていくことにつながるもので、最も重要です。
経済的な自立は、所得を得て自活するということですが、就労とも密接に関係します。これも障害の程度によっては必ずしもすべてが可能になるとはいえないかもしれません。
社会的な自立は、社会的な位置というものを持つこと、つまり社会的な存在としての自分の役割を自分なりに意識するということです。精神的な自立ができれば、何らかの社会的な自分の位置というものが見えてくることは多いのではないでしょうか。
これらのことから、「自立」を考えるときに、最も重要な側面は「精神的自立」といえるでしょう。成長の過程で「精神的自立」を促していく必要があります。そのためには、成長段階に応じて、障害も含めた自己理解を促していく支援が重要となります。
しかし、障害児が「精神的自立」をすることは、やはりかなりの困難を伴いますし、親のほうのいわゆる「子離れ」も容易ではない場合も多いでしょう。
同様の経験を経て自立した人たちの体験談を聞いたり、介護者を使いながらの地域生活を実際に体験したりといった中で、徐々にイメージを持つことも重要です。
家族の心理としては、障害のある子どもを生んだ親、一家の大黒柱であった夫が障害者になった妻など、様々な立場があり一概に論じることはできませんが、障害のある家族の身の回りの世話をすることが生き甲斐となり、本人の選択権や自己決定の機会を奪ってしまっている場合もあります。家族とはいえ、ずっと介護をすることはできないのですから、どこかで割り切り、お互いの「自立」を促す必要があります。